光の通る朝と、受け取っていくこと

朝、6時前。
仏間へ向かおうと廊下に出たとき、朝日がまっすぐ差し込んでいました。

この時期になると見られる光景ですが、思わず足を止めてしまう瞬間です。

私の家では、朝と夕に手を合わせることが習慣です。
仏教や神道が身近にある環境で育ち、日常の一部として続いてきました。

毎日手を合わせながら思い出すのは、ご先祖様だけではありません。
関わってきたクライアントさんやそのご家族、
そしてお空に還っていった大切な存在のことが、
ふと浮かぶこともあります。

それは何か特別なことをしているというより、
「少しだけご挨拶をする時間」に近い感覚です。

周産期に関わる中で感じるのは、
いのちはその瞬間だけで完結するものではなく、
その人が歩んできた背景や、支えてきた存在の中にあるということです。

見えているものだけでなく、
その奥にある時間や関係性を想像しながら関わること。

こうした日々の習慣の中には、
目には見えないけれど、古くから受け継がれてきたものが含まれているように感じます。

形を変えながらも、続いてきたもの。
無理なく受け継げるかたちで、今も日常の中に残っているもの。

だからこそ、もしかすると、
この文章を読んでいる方の中にも、
気づかないうちに受け継いでいるものがあるのかもしれません。

時代ごとに形を変えながら残ってきたもの。
その真ん中にあるものに、触れるような感覚があります。

そしてそれを、
今、自分なりに受け取っていく時期にいるのかもしれません。

朝晩の短い時間ですが、
自分に問いかけたり、立ち止まったりしながら、
そのときの自分をそのまま見つめる時間になっています。

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