からだの記憶、水の記憶。ルーツを辿るということ

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ルーツへ引き寄せられる

生命に向き合っていると、人は自然と、自分のルーツへ引き寄せられていくのかもしれません。

私は今、いのちを宿し育む女性のからだに触れる仕事をしています。

その中で感じているのは、
人の身体は、土地や水の記憶と切り離せないということです。

飛騨の山と水のそばで育った感覚を辿りながら、
「水」と「からだ」の関係について書いています。

水に宿る時間

水には、長い時間の記憶が溶け込んでいるように感じます。

地層の古さを、山の呼吸を、
そこに生きた人々の暮らしを帯びながら、
長い時間をかけて流れてきました。

太陽の光を受け、
水は山から川へ流れ、海へと注ぎ、
やがてまた雨となって山へ還っていく。

その大きな巡りの中で、
たくさんの命が育まれてきました。

私がこの感覚に辿り着いたのも、
水を辿ることで、自分の中に眠っていた記憶に触れていったからでした。

ある山のふもとで育ったこと

私にとって飛騨は、
幾重にも重なる山々に囲まれた土地。
山から湧いた水が、暮らしのすぐそばを流れています。

古い地層と歴史の上に、
人々の営みが幾代にもわたって重なってきた場所です。

春になれば山菜が芽吹き、
雪解けの水が勢いよく流れ、
季節ごとに山の表情が変わっていく。

子どもの頃の私は、
その変化を身体のどこかで自然に受け取っていました。

暮らしのそばにある水

家の向かいには、昔から変わらずそこにある山があります。

散歩に出かけたり、山菜を採ったり。
私はその山のふもとを、無心に駆け回って育ちました。

暮らしの水は、今もその山から引いています。

先祖が長く住まわせていただいているこの土地から、
我が家は名前を拝借してきました。

山国飛騨には、名を呼ばれる山と呼ばれない山があります。
この山は、我が家と同じ名で呼ばれています。

山と名が重なるということ

ずいぶん後になってから、祖父が教えてくれました。

山の下には太陽信仰の祭祀場跡があり、
山の上には巨石群があるのだと。

朝の光が山肌に差し込む景色を見ていると、
昔の人々が太陽へ祈りを重ねていた理由も、
少しわかる気がするのです。

山には、祈りの痕跡も、戦いの記憶も残っています。
それでもなお、
昔の人々が太陽へ祈った時間の名残が、今も息づいています。

そしてその祈りは、
朝晩、家族で手を合わせる我が家の習慣として、
今も暮らしの中に受け継がれていました。

そのことに気づいたのは、ここ数年のことです。

記憶の層へ

ただそこにある山が、
ずっと昔から人々の祈りを受け取ってきた場所だったことを知りました。

そこには、名前のつかないままの層が重なっていました。

けれど私は、自分を特別だと思っているわけではありません。

むしろ子どもの頃から、
なぜ自分はこんな環境に生まれたのだろう、と考えていました。

知りたかったのです。

その流れの中で、
遺跡や祈り、土地の記憶へと自然に辿り着いていきました。

記憶の深みにあるもの

山の磐座は、御陵でもあると伝えられています。
そして、そこに眠る存在が私の直系の祖先だと言う方もいます。

けれど時を経てみれば、
そこに眠る方はきっと、多くの人の祖先でもあるのだと思うのです。

本当のことはわかりません。
それでももし、
この土地と水と祈りの記憶を受け取ってきたのだとしたら。

私には、それを次へ伝えていく役割があるのかもしれない。
そんなふうに感じています。

身体という記憶の器

子どもの頃にあの山へ感じていた、名前のつけられない畏怖。

あれはきっと、身体が先に知っていたのだと思います。

頭で理解するより前に、
水が、骨が、皮膚が、山の神聖さを感じていたのかもしれません。

果てしなく古い地層を通り、
長い時間を含みながら、水は流れてきます。

その水が、私たちの身体を作っています。

変化のあとに生まれるもの

いのちを宿し育む女性のからだに触れるとき、
私はいつもそのことを思います。

出産を経た身体は、
大きな川を迎え入れた後の大地に似ています。

身体の内側では、
新しい流れに合わせるように、地形が組み替わっていく。

そこへ少しずつ光が差し込み、
また新しい命の時間が始まっていく。

私はそんな瞬間に、何度も立ち会ってきました。

水として生きる身体

私たちは水でできています。
そしてきっと、
光の記憶も身体のどこかに宿しています。

情報の濁流に飲み込まれるのではなく、
流れに乗って、気持ち良く運ばれていくように。

太陽の光を浴びた水のように、
身体の中の巡りがやわらかく動き出していくように。

そのための時間と場所を、
私は手渡したいと思っています。

巡りの中にいる

ルーツを辿ることは、土地とつながること。
水とつながること。

そして、
太陽の恵みと共に生きていた感覚を、
身体の中に思い出していくこと。

日常の中で薄れていった感性を、
もう一度手の中に取り戻すこと。

人の身体もまた、
水のように、本来の巡りへ戻っていく力を持っています。

いま、ここにある水

都会の蛇口から出る水も、
古い地層の奥深くを通り、
長い時間を含みながら、ここへ届いています。

太陽の光を受け、
雨となり、
岩の隙間を巡りながら。

その水が、
今も私たちの身体を作っています。

あなたが育った土地の水は、
今、ご縁のある土地を流れる水は、
どんな時間を巡ってきたのでしょう。

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